9月2日に放送の「マツコ&有吉の怒り新党」にて
猿岩石ブームの当時の苦悩のエピソードを有吉が語っていました
ヒッチハイクの旅で猿岩石ブームを起こした有吉。当時はテレビに引っ張りだこで大活躍でしたが裏では辛い思いもたくさんしたとのこと
5万人の前で歌ったり、書籍が250万部売れたりと華やかな活躍の裏には何があったのでしょうか?
ファーストシングルがミリオンセラー、書籍は250万部だった猿岩石ブームを有吉が振り返る
お笑いコンビ猿岩石時代はミリオンセラーの「白い雲のように」を筆頭に20曲もの持ち歌があったという有吉
当時は猿岩石で音楽ツアーもあったとのこと。当時の思い出を振り返ります
マツコ 「持ち歌って何曲くらいあったの?」
有吉 「アルバムとか出してたからね、20曲近く。すごいよねー・・・いや笑うよ(笑)」
マツコ 「ツアーやったの?」
有吉 「ツアーやったよ。中野サンプラザくらいで(収容人数約2200人) だから凄いですよ。その当時のコンサートを仕切ってるのは堤監督ですから」
堤幸彦は「TRICK」や「20世紀少年」などのヒット作を手がける監督です。そう考えると当時の猿岩石は相当すごかったんですね
マツコ 「あんた結構すごい人たちが関わって出来上がったのね」
有吉 「そうなんだよ、なんかねー。利権、利権で(笑) 儲かったんだろうねあの頃、みんながいろんなことしてくれましたよ」
マツコ 「作曲誰だったんだっけ?」
有吉 「1番最初のは藤井兄弟、フミヤさんと尚之さんで。すごいよね。フミヤさんが歌ったデモテープ持ってたんだよ?引越しで無くしちゃったけど。なんでなくすんだ!俺は!!(笑)」
最初の曲の「白い雲のように」はミリオンセラー、そしてヒッチハイクの旅の日記「猿岩石日記」は発行部数250万部の大ヒット
猿岩石ブームは当時は相当なものだったと語っていました
有吉 「又吉のとか見てくやしー!!って思ってたけど俺250万部くらい売れてんだよ。あの金どこいったの?(笑) 気をつけろ又吉!すぐなくなるぞっていう(笑)」
当時のCDや本の印税は凄かったそうですが使い果たしてしまったとのことでした
笑いに歌にお芝居に大忙しの猿岩石だったけど何をやっても実力が1番ない!
猿岩石ブームの時はいい事ばかりではなく何をやっても素人で辛かったとも語っていました
有吉 「お台場がまだ空き地だった頃にGLAYとかすごい人たちと5万人ライブとかあったんですよ。5万人ライブに一緒に出て俺らの時にシーーンとするっていう。5万人がシーーンとするっていう恐怖を味わってますからね(笑)」
マツコ 「どう思うの?どんな感じだったのそれ?」
有吉 「怖いって思います。でもねお笑いの番組行っても、歌の番組行っても、お芝居やっても映画やっても俺らが1番実力がないのよ、素人なんですよ」
「だから負けてるっていうか、何やってるんだっていうか・・・こんなところにいちゃいけないっていう。なんかで勝負できるぞってものがないんですもん。どこいってもバカにされてるんですもん」
マツコ 「バカにされてた?」
有吉 「まーーバカにされているでしょうね。すげー鼻で笑われていましたよ。コンサートとかでも舞台監督にめちゃくちゃ怒られてましたからね」
テレビでは華やかに大ブレイクした若手お笑いコンビとしてしか見えませんが当時は相当大変だったと語っていました
お笑いでも実力がなかったと考えていたのは意外でしたね、もっと自信を持っているかと思っていましたが実は謙虚な性格なんですね
まとめ
CDの印税の話の時に有吉と司会の夏目三久とのやりとりで少し面白い展開に
有吉 「当時22から23くらい。23(歳)くらいですよ」
夏目 「お金の話ですか?」
有吉 「23億くらいじゃないよ?23歳くらいの時によ、23億あったら俺やってねーわ!!」
23億の収入が当時あれば芸能界ではやっていなかったそうです。でも再ブレイクしてかなり稼いでるからそろそろ23億に達している?
有吉の芸能界引退もそろそろかもしれませんね(笑)