12月15日に放送の「クイズやさしいね」にて
世界のHONDAの創業者の本田宗一郎が自分の葬儀を行わないでくれと頼んだ理由、心温まるエピソードを紹介していました
世界で一番売れているバイク「スーパーカブ」を発明した世界のHONDAの創業者 本田宗一郎(1906~1991)
たった一代でHONDAの名前を世界中に愛されるブランドにまで成長させた本田宗一郎は平成3年(1991年)に84歳で生涯を終えました
生前に「自分の葬式はやらないで欲しい」と語った本田宗一郎の言葉には宗一郎ならではの優しさが込められていました
葬式をやらない理由、そして本田宗一郎の心温まるエピソードを番組では詳しく紹介していました
【本田宗一郎が自分の葬儀をしないで欲しいと頼んだ理由】
本田宗一郎が生涯を通して守り抜いた哲学が「人に迷惑をかけてはいけない」ということ。他にも「時間を大切にする」ということを重要視していたそうです
そんな思いが本田宗一郎にこんな言葉を遺させました
「クルマ屋の俺が葬式を出して大渋滞を起こしちゃあ申し訳ない」
自分は自動車メーカーの技術者であり経営者、そんな自分の葬式で多くの人が集まってしまい道路が渋滞してしまったら申し訳ないと思っていたそうです
自分の葬式を出したくない理由は「渋滞によって人に迷惑をかけたくない」という本田宗一郎の優しい思いからだったのです
気配りと思いやりの人だったと言われる本田宗一郎はこんな言葉も残しています
「素晴らしい人生を送ることができたのもお客様、お取引先のみなさん、社会のみなさん、従業員のみなさんのおかげである」
一代で世界を代表する会社にした本田宗一郎がこんな低姿勢だとは驚きですね
【本田宗一郎の心温まるエピソード】
常に感謝の気持ちを忘れなかった本田宗一郎は会社を引退後に2年半をかけて全国行脚の旅へ出ます
これは遊びに行ったわけではなく、当時全国に700ヶ所以上あったホンダの事業所や工場の従業員一人一人にお礼参りをするためだったんです
その時の旅で訪れた小さな町工場での出来事です。本田宗一郎に気づいた整備士が握手を求めて駆け寄ったのですが素手で作業していた整備士の手は油まみれ・・・慌てて手を洗いに行こうとしたら本田宗一郎は
「いいんだよ、その油まみれの手がいいんだ」
そう言って整備士の手を両手で包み込んだそうです
本田宗一郎も小さな修理工場の出身、「この油まみれの手がHONDAという会社を支えているんだ」と涙ぐんだとのことでした
【まとめ】
本田宗一郎が自分の葬儀を出さないように言った理由は「葬儀によって道路を渋滞させて人に迷惑をかけたくない」というものでした
本田宗一郎は今でもエンジニアの憧れの人として人気No.1で尊敬され続けています
あれだけの実績を残して富も名声も手に入れた本田宗一郎ですが常に感謝の気持ちを忘れないでいられるのは凄いなーと思いました
どんなに成功してもおごらずに生きていきたいですね